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はりねずみ通信

兵庫県姫路市にあるかない動物病院。
椎間板ヘルニアの治療であるPLDDや腹腔鏡手術などの低侵襲治療に力を入れています。
子供の感性
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     神童といわれる子供がいて、子供の頃から音楽の才能を発揮したりする。
    そのとき奏でられる音楽は、テクニック的にはうまくても、「中身は子供」なのだろうか。
    そんなことはなく、大人の感性で表現できる子供が存在する。
    どうも、大人は、子供のことをみくびっているようだ。

    小学校1年のとき、同級生の女の子から告白された。
    その時の気持ちを覚えているが、どきどきするような、うれしい気持ちだった。
    ところが、その子は他の子にも「すき」と言っていたようで、私を含め3人の男の子に告白していたことが、あとでわかった。
    スポーツが得意な子、かっこいい子、頭のよさそうな子を選んで、愛を告げていたという顛末である。(ちなみに、わたしは頭のよさそうな子、という基準だったようだ)
    それがわかったあとは、なんとなく残念な気持ちになったことを覚えている。
    つまり、小さな子供にも、愛がわかるのである。

    子供は愛などわからないし、大人の難しい世界は理解できないだろう。私たちは、そう考える。
    しかし、それは彼らが「表現できないだけ」だからではないか。
    持っている言葉の数が少ない、伝え方がわからない、はずかしくて表に出せない・・。それだけの違いではないだろうか。

    むしろ大人のほうが、好きな気持ちを封印したり、思ってもいないことを口にして自分でもそう思い込んだり、世間体を気にして取り繕ったりする。子供の目から見ると、わかりにくい存在だろう。
    おたがい理解しにくいもの同士、なのかもしれない。

    自分も子ども時代があったわけだし、そのとき感じていた気持ちを思い出すことが、両者の意思の疎通に役立つだろう。


    ・・でも、3人の男の子を好きになったあの女の子。今は、どんな大人になっているのだろう。ちょっと気になる。



    まんぞく





    | エッセイ | 06:33 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
    昨日の手術より
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       昨日の手術より
      雑種犬、膝蓋骨脱臼のため関節鏡検査、ブロックリセッションと関節包の縫縮
      トイプードル、股関節脱臼のためCアーム透視下にて股関節ピンニング
      猫、外傷処置
      猫、去勢手術
      ポメラニアン、内視鏡検査

      ねこようこたつはきもちいい

      | 獣医医療 | 07:06 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
      厳しく教えられたこと
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         ヒヒ(霊長類、猿)の社会は、ヒト社会と相当似ているそうである。
        とりあえずの食物は棲んでいる山の中にあるし、外敵も少ない。だから、多くの時間を集団の中のコミュニケーションに使う。ボスを中心としたヒヒ社会は、まさに「人間関係」が渦巻いているのである。

        若いヒヒは、集団の中では力が弱い。より上位のヒヒに社会性を教えられる。時には力でねじ伏せられたり、攻撃されたりもする。それは、彼らにとってストレスになっているが、「力を蓄える」時期でもある。

        私は大学を卒業した後、勤務医として働き始めた。私がはじめての勤務医だったこともあったかもしれない。院長は相当厳しく、私を教育した。
        その頃、私は自分が本当に小動物の臨床に向いているか、確信がなかった。牛や豚を扱う大動物臨床に進むべきか、はたまた発展途上国へ出向いて、現地の人のために働くのか、などと漠然とした考えで働いていたように思う。

        そういう中途半端な考えで仕事をしていたので、何事もうまくいかなかった。
        3年間の勤務医の間、叱られっぱなし、と言ってもいい。いま考えても相当ストレスの多い時期だった。思えば、院長もきっと大変だっただろう。
        3年目に入った頃、ようやく腹が据わって、小動物臨床に進むことに決めた。迷いがなくなってからは、「ずいぶんかわったね」と言われるほど、自分自身にも変化が起きた。

        では、あのモラトリアムな、叱られ続けた日々は無駄であったのか。
        今考えると、ヒヒ社会での若ザルと同様、力を蓄える時期だったと思う。
        あそこで耐えていなかったら、いまはなかった。今でははっきりそう言える。そういう期間は必要だったのである。

        院長は時に理不尽な叱り方をした。
        「腹立ちまぎれに叱ってるんじゃないか」
        と思うほど。考えてみれば、何考えてるかわからない若造と一緒に仕事をしているので、腹が立っても当然かも。
        ひとつだけ一貫していたのは、動物に対してはいつも真剣だった、ということ。
        その真剣さは、いまも引き継いでいると思う。


        若い時期のストレスはつきもの、というと、今の若い人はついてこないだろうか。
        でも、厳しい時期が、後の飛躍につながることもある。
        がんばって。


        うすめ

        | エッセイ | 06:45 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
        見方がかわる
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           趣味は音楽、と言えるかもしれない。いまはもっぱら「聴くこと」専門である。
          近頃、ピアノの演奏をよく聴くようになり、新しい発見が多い。ここ最近の一番の収穫は、シューマンという作曲家に、あたらしく出会ったことである。

          学生時代から、シューマンをよく聴いていた。主には交響曲である。交響曲は1番から4番までがあって、どれもとても美しい。ただ、ベートーベンやブラームスと違って「重みが少ない」という印象だった。軽快で美しいだけで、訴えてくるものが少ない。そんなふうに思っていた。

          ところが、彼の作ったピアノ曲を聴いていると、どうも様子がちがう。イメージよりももっと複雑で、とらえどころがない感じ。けれど、繰り返し聞いていると、心の奥底に響いてくる。表面的な美しさの裏に、なにか深い部分があるようなのだ。

          シューマンに関する映画を見たり、関連する資料を読むと、彼が天才的な能力を持ちながらも、実は生きていくのに不器用な人であったことがわかる。最後は精神を病んで、自殺を図るが失敗し、入院治療中に亡くなってしまう。

          現在演奏される彼の交響曲は、ベートーベンやブラームスの音楽と同じとらえ方で演奏されているように思う。そのため、病的な側面や、内省的な表現は薄められ、美しさが強調される。
          ところが、ピアニストらは個人としてシューマンを捉え、表現しようとする。
          ピアノ曲を聴くことで、私のシューマンの印象が大きく変わってしまったのは、偶然ではなかったかもしれない。

          ピアニストは、シューマンのピアノ曲を特別なものと思うようだ。彼の曲のことを、
          「うまく説明できないが、どこか惹かれる」「心にダイレクトに迫るところがある」
          と語っているインタビューなどを目にすることが多い。

          ベートーベンは、いつまでたってもベートーベンだし、バッハはバッハである。
          私は、こんな風に作曲者の印象がすっかり塗り変わることなど、ないと思っていた。
          つまりは、レッテルを貼っていたのかもしれない。
          シューマンの「再発見」は、私にとって大きな出来事だった。


          身近な人間に対しても、そうではないか。
          ある人のことを「こんな人だ」と決めつけているが、本質はそんな簡単に見つかるものではない。古くからの友人、長年一緒に暮らしている家族でも、本当の姿は少しずつしかわからないものだ。


          それを発見する喜びが、これからまだまだあると思うと、長生きせねば、と思う。


          ころころ
          | エッセイ | 05:58 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
          夢について
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             落ち込んだり、くよくよしたり。いつも元気でいられないのが人間である。
            ところが元気を出す方法がひとつある。それは、未来を思い描くことである。
            脳の研究では、人間が一番幸福を感じるのは、明るい将来を展望するときなのだそうだ。

            100歳を超えても現役で医師をしている日野原先生は、10年先までの予定表を持ち歩いているとのこと。先の可能性に思いを馳せるのは、長寿の秘訣かもしれない。


            私には目標があって、それを考えている時はやはり楽しい。
            具体的には、
            ・腹腔鏡の技術を向上し、動物医療で現在不可能だと考えられている外科手術を、腹腔鏡で低侵襲に行えるような基礎を作りたい。
            (いま行おうと思っているのは、腹腔鏡下胆嚢摘出の動物医療での標準化である。つまり、教科書をつくること)
            ・2017年に日本で行われるVES(Veterinary Endoscopy Society、低侵襲外科の世界的な集まり)でPLDD(経皮的レーザー椎間板除圧術)と乳び胸(または胆嚢摘出)の発表をすること
            ・若い獣医師向けに、腹腔鏡を楽しく学べる「腹腔鏡道場」のようなものを作ること。そのための模擬練習模型づくりや、施設の整備
            ・はりねずみ通信を土台に、本を書くこと
            などなど。

            「自分にはできないかもしれない」という視点が、すっぽり抜け落ちていることと、目の前にやるべきことがあるのを放っている、という問題はあるが、それでいいのだ。



            きになる

            | エッセイ | 06:31 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |