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はりねずみ通信

兵庫県姫路市にあるかない動物病院。
椎間板ヘルニアの治療であるPLDDや腹腔鏡手術などの低侵襲治療に力を入れています。
Sumakoさんからのメール
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     昨日Sumakoさんからメールがきた。
    ハナコさんのことを心配されていたようだ。以下、Sumakoさんより。

    アロハ!どうも機械に弱いせいか先生のプログに2回ほどコメントをだしましたが失敗に終わりました。プログをみていてハナコちゃんの様子が気になっていたので毎日のように見ていましたらついに旅立ちの時がきたことを知りました。おつらいでしょうがハナコちゃんも飼い主さんをとても信頼し、安心してやすらかに旅立たれたとおもいます。
    私も時おり旦那に弁当のお結びを握る時は最後にこれはハナコのためとぎゅうっとにぎっておりました。でもほんとに長寿でしたね。先生のプログは動物と人の心を癒しますね、コメント寄せる皆様の力もたいしたものと思います。これからも動物と人々の心を癒し続けて下さい。私は10月2日から28日までボストンに義妹の猫と義母を癒しに?いってきます!!!。
    姫路の皆様ユーモアがあっていいですね。ハナコちゃんも名医の先生に診てもらってこんなに長生きしたのですからニャンとも嬉しかったにちがいありません。
    ハナコさんも思い出をたくさん貰ったし、つらくても明るく前向きな方と思いますので心配しません。   とりあえず    すま

    引用以上。
    Sumakoさん、ありがとう!




    飼っている動物を失い、こころの行き場のない人に対してどう接すればいいのか。
    「ペットロス」という状態に対し、決まった処方箋があるわけではない。
    動物を飼っていない人から見れば「動物が死んだぐらいで」と軽く考えられることがあるし、動物を亡くした人もそう考えようとする。
    自分が悩んでいることが、実は取るに足らないことではないのか。
    いつまでも悲しんでいる自分は、おかしいのではないか・・。

    ところが、実際の悲しみは、身内が亡くなった時以上のことがある。
    家族や友人・職場の人が、そういうことを理解してくださるといい。

    みなさんのコメントなどを読んでいて感じるのは、ペットロスの悲しみに対し、ひとりで悩まず、みなで共有することが悲しみを減らすのに役立つのではないかということだ。
    同じような体験をした人が語り合うことで、自分の悲しみは自分だけのものではないことを知ることができる。はりねずみ通信がそのような「場」になるといい。

    長い間悲しむことは、動物も希望していないだろう。飼い主さんの幸福を、動物も願っていると思う。
    亡くなった動物を忘れようと努力する必要はない。
    むしろ、忘れないうちにいろいろな思い出を整理して、人に話してみたり、ノートに書いてみたりするといいと思う。
    亡くなったときの悲しみよりも、動物が与えてくれた幸福だった時間のほうへ、気持ちが移動するとよい。



    スピーカー近すぎ。うるさくない?


    Sumakoさんとの出会いの記事を、まとめておきました。
    トップページの「カテゴリー」より、ご覧下さい。




    | Sumakoさんとの出会い | 05:23 | comments(15) | trackbacks(0) | - | - |
    インスピレーション
    0
       待合の猫のフラダンスの作者、Sumakoさんには、絵の道に入るきっかけになったできごとがあったそうである。

      まだ絵を描く仕事をするなんて想像もしていなかったとき、展覧会で一枚の絵を見たそうだ。
      砂浜に1匹の犬が座っていて、海を見ている。
      ただ、それだけの絵である。
      ところが、その犬の姿から、絵を描いた作者の気持ちが心の中にストレートに伝わってきて、とても強いインスピレーションを得たそうである。
      「一枚の絵が、これほどまでに描く人の内面を表現できるのだ。」
      と強く感じた、とのことだった。

      偶然もあった。
      油絵をはじめようと、町に絵の具のセットを買いに行き、大きな箱をもって電車に乗っていた。
      すると、たまたま乗り合わせていた人が、
      「何を持っているんだい?」
      と話しかけてきた。
      それが油絵で有名な作家の人だったそうで、
      「じゃあ、試しに1枚何か書いて送って下さい。」
      と言われたので、スケッチか何かを送ったら、「なかなか、いいね。」と褒められ、それから本格的に絵を勉強しはじめたとのこと。
      「豚もおだてりゃ、木に登るってことですね。」
      と謙遜されていたが、ほんとうに不思議な巡り合わせがあるものである。

      東京で絵の勉強をしているとき、アメリカ人のジェシーさんと出会い、アメリカに移り住み、そのあとハワイに移って描いた猫のフラダンスの絵が当院の待合にある、という壮大な仕組みになっている。

      それはさておき、人間があずかり知らないところで何か見えないエネルギーが働いて、どこかへ導くことがあるのだと感じたのだった。

      実はそういうことは誰にでも与えられているが、インスピレーションを受け取るか受け取らないかは本人次第なのかもしれない。


      きりり













      | Sumakoさんとの出会い | 06:38 | comments(3) | trackbacks(0) | - | - |
      検証する、ということ
      0
         Sumakoさんご夫婦と、いろいろな話をしていると、今回の大震災や原子力発電所のこと、米国のテロのこと、世界でいまも続けられている戦争のことなどの話になる。

        人間の権力争い、科学技術への過信・・、
        「これは人間の業(ごう)というものなのかしら。金井先生はどう思いますか?」
        と聞かれる。

        私は、医学や薬学などの科学技術をもとに仕事をしているものである。
        本来は人類を平和にするはずの科学技術が、ときに牙をむくのはどうしてだろう。
        エネルギーを使い続けることが地球環境に悪影響を及ぼしていることを知っているのに、
        止めることができないのはなぜなのか。

        自分の心に照らし合わせてみると、新しいことに取り組みたい、もっとよい治療法を獲得したい、という欲求はいつもある。
        ある意味、科学はそういう欲求に従って進んできたわけで、すべてが悪とはいえない。
        ところが、圧倒的に欠けているのは、技術を「検証する」という過程である。

        さまざまな技術を開発する過程では、人間はとても興奮するし、前に進んでいるという快感がある。
        ところが、その技術が周囲に及ぼす影響や過去のデーターの評価などという「検証」の作業は、実はあまりおもしろくない。

        取り扱う科学技術の影響が大きければ大きいほど、検証する時間も多く必要なはずだ。
        たとえば半減期が何万年という放射性物質を扱う場合は、気が遠くなるほどの検証が必要であろう(もしかしたら、それほど長い期間影響を与える物質は、検証が無理なのかもしれない。)

        もう一度自分に戻ってみると、学会やセミナーに行って、新しいことに取り組もうとするときは楽しい。ところが、家に帰って古いカルテをチェックしたり、過去の治療を検討するのは、正直苦痛である。

        そういうものが人間の業なのかとも思う。

        そう考えれば、私の心の中にも「悪」は潜んでいる。
        本当に知的な行為は、新しいことを得る努力と同等の力で、自分が手がけたことの検証をおこなうことであろう。


        あと1匹。いちばんかわいいのに。







        | Sumakoさんとの出会い | 06:06 | comments(0) | trackbacks(0) | - | - |
        猫のブリザード
        0
           Sumakoさんはブリザードという猫を飼われていた。
          その猫の思い出を絵にされていて、見せていただいた。

          大吹雪があった年に保護施設から譲り受けたので、ジェシーさんが「ブリザード」と
          名付けたそうだ。

          保護施設で何匹かの候補の猫の中からブリザードを選んだ時の様子、
          大きな木の上に登ってしまい、消防士さんを呼んで下ろしてもらったときのこと、
          掃除機に吸い込まれそうになったブリザードが、びっくりして飛び上がった思い出・・。

          そういうことが一枚一枚の絵に表現されている。
          ブリザードの絵だけでも数十枚はある。
          「ああ、絵の上手な人は、こうやって思い出を残すことができるのだ。」
          と思う。

          「ブリザードが木に登ってしまったときの太陽は、ほんとうに赤かったの。」
          とSumakoさんは言う。
          絵には、木の背景に朱色に染まった大きな太陽が描かれている。

          画家の人は、普段から絵を描く視点でものを見る訓練をしているので、情景を繊細にとらえることができるのであろう。
          普通の人が言葉で伝えるのと同じくらいの容易さで、絵を介して表現しているように見える。

          私も同じ人間なので、網膜にはさまざまな色や形が映し込まれているはずである。
          絵で表現できる才能はないとしても、もっとよく見たり感じることで、世界は別の見え方をするのではないか。

          毎日いろいろな動物と接しているのに、もったいないことをしているのかもしれない。



          はんぶんかわいい

          | Sumakoさんとの出会い | 06:24 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
          Sumakoさんに会ってきました
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            何から書いていいのか。
            生きていれば、こんなにすばらしいことがあるのだと思う。

            昨日は午後2時頃に展示会の会場で待ち合わせをして、初めてSumakoさんに会った。
            展示会の作品は本当にすばらしく、時間をかけて1点1点を見ていった。

            Sumakoさんが子供の頃暮らした、北海道の記憶を、紙人形で描いている。
            柏の大木の思い出、蛍を見たこと、お母さんが畑仕事をしているそばで遊んだこと、富山の薬売りが来たときのこと、馬が引くそりに乗ったこと・・。
            厳しい自然の中で育った子供の頃の思い出を、紙人形で表現している。

            私が知らない日本の風景ではあるけれど、どこか懐かしい気持ちになる。
            子供の頃のSumakoさんの目で見たさまざまな驚き、悲しさ、興奮や喜びなどが記憶をもとに正確に描かれていた。
            そんな風に記憶を大切にされていること、情景だけでなくその時の気持ちをを一瞬にして見る人に伝える絵の力など、目を丸くする体験だった。

            「せっかく姫路から来て下さったのだから」
            とそのあと近くのご自宅に招待され、ご主人のジェシーさんと私たち夫婦4人で食事をした。

            ハワイ大学で日本文学を教えているジェシーさんはベジタリアンなので、野菜を中心にした料理をいただいた。どれも、びっくりするくらいおいしい。
            私たちが来ることを聞いて、はりきって準備されたとのこと。うれしかった。

            展示会では紙人形の作品を写真にとったものを展示していた。
            ご自宅にはそのオリジナルがあり、見せていただく。
            写真ではわからなかった和紙の質感が感じられて、とても存在感のある作品である。

            これらの作品は、後に故郷の町に寄贈するとのこと。
            オリジナルを順番に見ていったら、どんなふうだろうと想像する。
            いつか北海道にも行ってみたいと思ったのだった。

            ワインを飲みながらおしゃべりした。
            ちなみに、ジェシーさんは日本語ペラペラなので、得意の英語を話す機会はなし(笑)。
            Sumakoさんがどうして絵の道に入ったか、ジェシーさんが専門にしている文学のこと、東日本の震災のこと、グランド・ゼロのこと、ハワイでプロのオーケストラが無くなってしまったこと、大切にしていた猫のブリザードのこと・・。
            いろいろ話していると、ほんとうにあっという間に時間が過ぎ、気がつけば午後7時前。

            帰りに食べればよいと、クッキーやドライフルーツをいただき、Sumakoさんの折った折り紙をリュックに詰め、帰路につく。

            Sumakoさん、ありがとうございました。
            約束通り、これからも動物たちのためにがんばります。






            〜紙人形のコラージュ〜
            記憶の中の風景
            Sumako Cohn
            5月21日から6月20日まで
            ショッピングセンター「アメリア根岸店」2階市民ギャラリー


            | Sumakoさんとの出会い | 06:12 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
            Sumakoさんに会いに行く
            0
               今日は一日休みをもらい、猫フラのSumakoさんに会いにく。

              昨年、ハリネズミ通信に待合室にかけてある猫のフラダンスの絵のことを書いたら、作家のSumakoさんから、直接メールをいただいた。ほんとうにびっくりした。

              その後、私が絵を気に入っていると話すと、親切にもハワイから絵を持ってきて下さり、何枚も送って下さった。
              これらの絵は、近いうちに額に入れ、待合や診察室にかける予定にしている。
              みなさん、どうかおたのしみに。

              今回はSumakoさんが東京で展覧会を開いていると聞き、絵のお礼も兼ねて見に行くことにしたのだ。

              あこがれの作家のひとに会うので、ちょっとどきどきしているが、とても楽しみである。
              様子は明日のハリネズミ通信で。

              いってきます!


              くつろぎちゅう


              | Sumakoさんとの出会い | 06:55 | comments(5) | trackbacks(0) | - | - |
              便利
              0
                看護士の山根の実家は、コンビニエンスストアをやっているという。
                24時間営業とのことである。一人で24時間働くことはできないので、アルバイトの人を雇っている。けれども、お父さんは深夜まで働かなくてはならないそうである。
                そのため、山根は同じ家に住みながら、1週間お父さんと会ってない、という状況があるらしい。

                便利になるって、こういうことなのだ、と改めて感じたのだった。
                使う側からみれば、いつでもお店が開いている、というのはとても便利である。
                買い忘れたものがあっても、安心である。極端に言うと、「怠惰な態度での生活が可能になっている」と言い換えることができる。
                ところが、そのわずかな利便性のために、家族団らんや規則正しい生活などを犠牲にしているひとがいるわけである。
                すこし飛躍するが、バイオ燃料はクリーンでいい、などとすぐ思ってしまう。
                ところが、それによってトウモロコシなどの基本的な食料を得られなくなるひとがいる。これも同じ構図であろう。

                だから、あらゆるものが簡単に手に入ったり、休日もお店が開いていたり、「ちょっと便利になったなあ」と感じるときは、要注意だ。

                それを支えているひとがいるのだ。

                sumakoさんから、またすこし絵の写真を送っていただいた。
                気に入ったので、パソコンの壁紙になっている。
                | Sumakoさんとの出会い | 06:54 | comments(2) | trackbacks(0) | - | - |
                もしも絵が描けたなら
                0
                   ねこフラのSumakoさんから、またメールをいただいた。
                  自分だけで楽しむには、あまりにももったいないので、みなさんにもおすそ分けします。

                  4枚の絵が添付されていた。
                  1978年アメリカ東部バークシャーマウンテン。当時飼っておられたブリザードという猫の具合が悪くなって、動物病院へ行ったときの情景だそうである。
                  牛や馬も診察に来ていて、驚いたとのこと。山嵐(ヤマアラシ)の針がささって診察に来ていた大きな犬が、涙目で診察を待っていた様子。ブリザードが診察を受けているところ、などが描かれている。


                  そのときの様子が、目に浮かぶようで、本当に素敵な絵だ。
                  すべてのものが、生き生きとしていて、ちょっとユーモラスな感じもある。
                  「動物病院へ行って、こんなことがあった」
                  といくら言葉を重ねて写真を撮っても、伝わらない雰囲気が、心にダイレクトに伝わるように思う。

                  上手に絵を描ける人は、とてもうらやましい。
                  日常の色々なできごとを、絵に残すことができたら、普段暮らす世界は全く違うものになるだろう。
                  絵が描ける人、音楽ができる人は、言葉とは全く異なった伝え方で、多くの人に物事のエッセンスを送ることができるのであろう。

                  もしもピアノが弾けたなら、という歌があった。
                  絵が描けたら、本当にすばらしいなあ、と思ったのだった。


                  羨ましがってばかりもいられないので、私はこの仕事を通して、何が伝えられるかということも考えてみた。

                  Sumakoさん、ほんとうにありがとうございました。









                  昨日の手術より
                  チワワ、歯石除去と抜歯(根尖周囲膿瘍のため)
                  ビションフリーゼ、会陰ヘルニア整復術(プロリーンメッシュ使用)
                  ラブラドールレトリバー、内視鏡検査

                  | Sumakoさんとの出会い | 07:21 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |
                  ねこフラ3
                  0

                     待合室に飾っている猫のフラダンスの絵の作者、Sumakoさんに許可を得て、メールで送っていただいた絵を、載せる。



                    ねこフラの絵のモデルは、ベテランフラのご友人がモデルだそうである。
                    どの絵を見ても、本当にくつろいだ気持ちになる。
                    動物を人に見立てた絵はたくさん見たことがあるけれど、これほど人間らしい猫(猫らしい人間?)は見たことがない。実際に本物猫がこんなことをしたら、とてもおかしいはずなのに、「ひょっとしたら、するかもしれない」と本気で思うほどである。
                    Sumakoさんが、人間も猫もよく知って描いているのだろうと思う。
                    そう、猫はときどきこういう表情もするのだ。


                    最近思うのは、インターネットやホームページ、メールなどは、なかなかいいツールではないか、ということ。今回のこのできごとも、インターネットがなければ起こっていないだろう。
                    「繋ぐ(つなぐ)」という点では、本当にすばらしい発明だと思う。
                    便利すぎるので、子どもには勧められない(笑)が、大人が使うにはとてもいい。

                    | Sumakoさんとの出会い | 06:29 | comments(7) | trackbacks(0) | - | - |
                    ねこフラ2
                    0
                       待合室に飾ってある、「猫のフラダンス」の絵の話を、昨年12月12日のブログに書いた。

                      姫路でフラダンス教室の先生をしている、飼い主のSさん(ちなみに、このイニシャルは名前と無関係)がこの絵を気に入ってくださり、この絵を買った場所を教えて欲しいという。
                      買ったのは、以前旅行で行ったハワイであるが、どこだかは忘れてしまっている。

                      絵を描いた作者はSumako Cohnという方であることがわかったので、Sさんにそのことは伝えておいた。

                      ところが、先日、驚くようなメールが来た。
                      待合いに飾っている絵とは違う猫の絵(ウクレレを弾いている猫たちの絵と飲み物を前に歓談している猫たちの絵)の写真が添付されている。
                      2枚に絵には、絵の短い紹介文が書かれているだけ。
                      メールの差出人はJC Sumaとある。

                      これはあの絵の作者の人から、私に送られてきたメールなのだろうか。それとも・・。
                      年甲斐もなくすごくドキドキして、返信を書く。
                      「ひょっとして、作者の方ですか?」

                      ちょうど翌日、Sさんの来院があったため、聞いてみた。
                      「Sumakoさんという人からメールが来ましたが、Sさんはなにか連絡を取られたのですか?」
                      Sさんは、全然知らない、という。

                      私はキツネにつままれた気持ちでメールの返信を待った。
                      返信が来た。
                      差出人は、間違いなくあの絵の作者のSumako Cohnさん。
                      ご主人さんがハワイ大学で日本文学を教えていて、現在日本の大学に1年間在籍しているという。
                      Sumako Cohnという名前で検索したら、偶然ハリネズミ通信に当たったそうで、親切にもメールを下さったのだ。

                      メールには、自分の絵を10年も飾ってくださってありがとう。姫路には母の叔母が住んでいるので、懐かしい地名です、と書かれていた。


                      このブログでは、ときどき奇跡が起きる。
                      こんないいことがあるなんて!生きててよかった。

                      Sumakoさん、ほんとうにありがとうございました。
                      どうか、これからもすばらしい絵を描き続けてくださいね。



                      こんどはきみと


                      | Sumakoさんとの出会い | 06:16 | comments(4) | trackbacks(0) | - | - |