2010.07.28 Wednesday
癒しと快復
旅行に行く時間をスタッフや飼い主さんに与えていただき、私が得たことを、もう少し話しておきたい。
私は動物病院をはじめてから、動物を治療するということに関しては、純粋な気持ちでやってこれた、と思う。
そして、自分がしてることは、動物や飼い主さんを癒すことになると、心から信じてきた。
ところが、旅行中にある本に出会い、地中海の自然を見るうち、自分がとても重大な思い違いをしていることに気がついたのだ。
旅行前に、姫路駅のジュンクドウでぶらぶらと旅行に持っていく本を探していた。すると、1冊の本が目に留まった。
「生命の木の下で」(多田富雄著、新潮文庫)
多田富雄は今年亡くなっている。免疫学者で、サプレッサーT細胞を発見した世界的な科学者である。(ちなみに、サプレッサーT細胞の発見がいかに重要だったか、生命・医療に携わる人なら、だれでも知っていることである。)
すぐれた文筆家でもあり、多くのエッセーなども残している。多田のことは知っていたが、免疫学者としての業績しか知らなかった。本を手に取ってみる。
文庫本で軽いので、旅行に持って行くにはいいだろう、と思った。
この本の中に「メーコック・ファームの昼と夜」という章がある。
タイ北部に「黄金の三角地帯」と呼ばれる場所がある。
阿片の生産地として有名で、山岳少数民族が芥子(けし)の栽培をしている。これら山岳少数民族には、麻薬中毒者が多い。
詳しくは本書に譲るが、これらの中毒者を治療する活動をしている小さなグループの拠点が、メイコック・ファームなのである。
日本人のボランティアの人が働いていることを聞き、多田は学会でタイを訪れたとき、メイコック・ファームに立ち寄ることにする。
「なぜ、彼らが、そこで働いているのか」
多田は、非常に関心を持ったという。
現地に行くと、麻薬の被害がいかに大きいかがわかる。
貧しい山岳少数民族は、現金収入を得るため、芥子の栽培をする。最初は裕福になるが、そのうち阿片中毒者が現れ、村人の多くが麻薬中毒者になっていく。
大人の大部分が、朝から阿片を吸い、労働をしないため、村は再び貧しくなっていく。子どもが売りに出される、という悲惨なことも行われ、村は崩壊していく。
これらの問題は、WHOなどがいくら現地に入っても、決して解決されることはなかったが、このメーコック・ファームではそれに成功して、成果を出しているのだ。
ここでは、阿片中毒者を隔離し、麻薬からの離脱をはかる。
禁断症状がでるため、患者はとても苦しむことがある。錯乱して、そこで働いているひとを殴ることもあるそうだ。
麻薬から離脱できた人は、そこに残り、まだ離脱できていない人を支える。
そのような快復のプロセスを踏んで、とても時間をかけて麻薬中毒者を無くし、村を再生していく。
多田の疑問は、
「ここで働く人が、なぜそこまでして、この仕事に携わるか」
ということである。
麻薬中毒者に殴られながら、どうして続けられるのか。
困った人を助けたい、というような慈善の気持ちだけだと決してできないはずだ。
そう考えた多田は、現地を歩き回った後、次のような一文を残している。
「麻薬に侵された山岳民族の治療を行い、彼らが徐々に生命を回復してゆくことに参加することで、ピパットさん(ここで働いているリーダー)たち自身の生命も回復しているのだと。私も村を訪ね、ようやく傷の癒えた村人に接することで、私自身の持っていた傷の深さに気づいた。私たち先進国の人間も、実は限りなく傷つき、自力では回復できないほど病んでいたのである。彼らが癒えることは、私たちも癒えることである。」
私はこの一文を読み、気がついた。
私が、ずっと心の中に携えてきたもの、何か違和感のような、自分では解決できない不安定なものの正体が何であるかを。
私は、懸命に自分を癒そうとしてきたのだった。
ギリシャの自然をみていると、自然の中にいることが、いかに幸福であるかがわかる。現代に暮らすことは、この幸福から目を背けることで成り立っている。そして、だれもが自分の快復の糸口を探している。
私は、自分の傷に気がつかず、動物や飼い主さんの傷を治そうとしていたのだった。そして、動物や人間の快復に立ち会うことで、自分を癒そうとしてきたのだ。
自然から離れて暮らすこと、それ自体が私たちのどこかを狂わせている、と思う。
そう考えると、感情が暴走したり、他者に攻撃的になったり、様々なことに傷ついている人に向ける視線は、非難ではなくて慈悲の視線であろう。
それができる前提として、まず自分の傷の深さに気がつくべきであった。
島々に沈む夕日
私は動物病院をはじめてから、動物を治療するということに関しては、純粋な気持ちでやってこれた、と思う。
そして、自分がしてることは、動物や飼い主さんを癒すことになると、心から信じてきた。
ところが、旅行中にある本に出会い、地中海の自然を見るうち、自分がとても重大な思い違いをしていることに気がついたのだ。
旅行前に、姫路駅のジュンクドウでぶらぶらと旅行に持っていく本を探していた。すると、1冊の本が目に留まった。
「生命の木の下で」(多田富雄著、新潮文庫)
多田富雄は今年亡くなっている。免疫学者で、サプレッサーT細胞を発見した世界的な科学者である。(ちなみに、サプレッサーT細胞の発見がいかに重要だったか、生命・医療に携わる人なら、だれでも知っていることである。)
すぐれた文筆家でもあり、多くのエッセーなども残している。多田のことは知っていたが、免疫学者としての業績しか知らなかった。本を手に取ってみる。
文庫本で軽いので、旅行に持って行くにはいいだろう、と思った。
この本の中に「メーコック・ファームの昼と夜」という章がある。
タイ北部に「黄金の三角地帯」と呼ばれる場所がある。
阿片の生産地として有名で、山岳少数民族が芥子(けし)の栽培をしている。これら山岳少数民族には、麻薬中毒者が多い。
詳しくは本書に譲るが、これらの中毒者を治療する活動をしている小さなグループの拠点が、メイコック・ファームなのである。
日本人のボランティアの人が働いていることを聞き、多田は学会でタイを訪れたとき、メイコック・ファームに立ち寄ることにする。
「なぜ、彼らが、そこで働いているのか」
多田は、非常に関心を持ったという。
現地に行くと、麻薬の被害がいかに大きいかがわかる。
貧しい山岳少数民族は、現金収入を得るため、芥子の栽培をする。最初は裕福になるが、そのうち阿片中毒者が現れ、村人の多くが麻薬中毒者になっていく。
大人の大部分が、朝から阿片を吸い、労働をしないため、村は再び貧しくなっていく。子どもが売りに出される、という悲惨なことも行われ、村は崩壊していく。
これらの問題は、WHOなどがいくら現地に入っても、決して解決されることはなかったが、このメーコック・ファームではそれに成功して、成果を出しているのだ。
ここでは、阿片中毒者を隔離し、麻薬からの離脱をはかる。
禁断症状がでるため、患者はとても苦しむことがある。錯乱して、そこで働いているひとを殴ることもあるそうだ。
麻薬から離脱できた人は、そこに残り、まだ離脱できていない人を支える。
そのような快復のプロセスを踏んで、とても時間をかけて麻薬中毒者を無くし、村を再生していく。
多田の疑問は、
「ここで働く人が、なぜそこまでして、この仕事に携わるか」
ということである。
麻薬中毒者に殴られながら、どうして続けられるのか。
困った人を助けたい、というような慈善の気持ちだけだと決してできないはずだ。
そう考えた多田は、現地を歩き回った後、次のような一文を残している。
「麻薬に侵された山岳民族の治療を行い、彼らが徐々に生命を回復してゆくことに参加することで、ピパットさん(ここで働いているリーダー)たち自身の生命も回復しているのだと。私も村を訪ね、ようやく傷の癒えた村人に接することで、私自身の持っていた傷の深さに気づいた。私たち先進国の人間も、実は限りなく傷つき、自力では回復できないほど病んでいたのである。彼らが癒えることは、私たちも癒えることである。」
私はこの一文を読み、気がついた。
私が、ずっと心の中に携えてきたもの、何か違和感のような、自分では解決できない不安定なものの正体が何であるかを。
私は、懸命に自分を癒そうとしてきたのだった。
ギリシャの自然をみていると、自然の中にいることが、いかに幸福であるかがわかる。現代に暮らすことは、この幸福から目を背けることで成り立っている。そして、だれもが自分の快復の糸口を探している。
私は、自分の傷に気がつかず、動物や飼い主さんの傷を治そうとしていたのだった。そして、動物や人間の快復に立ち会うことで、自分を癒そうとしてきたのだ。
自然から離れて暮らすこと、それ自体が私たちのどこかを狂わせている、と思う。
そう考えると、感情が暴走したり、他者に攻撃的になったり、様々なことに傷ついている人に向ける視線は、非難ではなくて慈悲の視線であろう。
それができる前提として、まず自分の傷の深さに気がつくべきであった。
島々に沈む夕日