RECOMMEND
SELECTED ENTRIES
RECENT COMMENTS
CATEGORIES
ARCHIVES
MOBILE
qrcode
LINKS
PROFILE
OTHERS

05
--
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
11
12
13
14
15
16
17
18
19
20
21
22
23
24
25
26
27
28
29
30
31
--
>>
<<
--

はりねずみ通信

兵庫県姫路市にあるかない動物病院。
低侵襲治療に力を入れています。
クウのこと
0
     「よく帰ってきた」(2011.11.09 はりねずみ通信)で書いた猫のクウのこと。

    交通事故で骨盤を骨折し、尿道が断裂していた。その状態で家まで帰ってきたので、何とか治してやりたかった。
    骨盤の中を開けてみると、膀胱からつながる尿の通り道の「尿道」が完全に挫滅していた。
    縫い合わせるにも、痕跡も残っていないほどだったので、尿ができるよう残っている尿道を皮膚に移設した。いわゆる恥骨前尿道移設術である。

    つまり尿をするとき、下腹部の皮膚から出るということである。
    動物の場合、自己管理ができないので、自分で舐めたりするうちに出口が狭くなったり、皮膚がかぶれたりすることがある。
    クウの場合も、数ヶ月間は良好に経過していたが、ここ最近そのような合併症が起きはじめていた。たびたび皮膚が化膿したり、尿が出にくくなってきたのである。

    そこで飼い主のSさんと相談し、次の手段を講じることにした。
    とにかく尿が排泄されるルートを作らなければならない。そこで、尿道を結腸に移設したのだ。
    作られた尿は、腸を介して排泄される。だから、肛門から尿が出るようになる。

    術後の経過は良好で、クウは快適そうである。
    尿が出にくかったのが解決し、皮膚の尿やけもきれいに治った。食欲も出て少し太ったようだ。
    1日5−6回、トイレに行って便と混じった尿をするが、部屋を汚すこともなく上手にやっているとのこと。

    この尿道結腸移設術は、ほとんど報告がない。
    理由はそこまでたどり着ける動物が少ないからであろう。尿道が断裂するような大けがで、事故直後に命を落とさなかったのが、そもそも極めてまれなケースなのだ。しかも、自力で帰宅している。

    クウの治療をしていると、生命力を感じる。
    すごいやつ、である。


    うわさのHanakoさんの写真。
    本当の太陽の下に、欠けた太陽が小さく写っている。
    雲に反射して写ると考えても不思議。普通は乱反射してきれいに写らないだろう。
    現代の七不思議?!
















    | 獣医医療 | 05:36 | comments(0) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
    昭和40年男
    0
       昨日は動物慰霊祭で名古山霊園にいく。
      何人かの飼い主さんと出会った。

      帰りにぶらりと本屋に寄る。なにげなく雑誌コーナーに目をやると、奇妙な雑誌があった。
      「昭和40年男」
      私は昭和40年生まれなので、思わず手に取る。
      あしたのジョー、スーパーカー、キカイダー、デンセンマン・・。
      懐かしい単語が、ずらりと並ぶ。

      「きっと何かの雑誌の特集号か何かだろう。」
      そう思って背表紙を見ると、「6月号、VOL13」とある。続いている雑誌なのだ。
      じゃあ昭和41年男や、昭和40年女などの雑誌があるかといえば、ないようだ。
      これはいったい・・。
      思わず買ってしまう。

      編集長(むろん昭和40年うまれ)の言葉があった。
      「この雑誌は昭和40年生まれの男たちのための雑誌だ。(同じ学舎に通った41年早生まれまでを対象にしている。)(中略)昭和40年男は今、上の世代にコミットできて下の世代に影響力がある,ちょうど社会の中間管理職のような立場にいる。全国約80万人の昭和40年男がホンのすこしずつでも前へと踏ん張りパワーをふりまけば、日本がいい方へと向かうきっかけのひとつになるのではないか。・・今こそ変身、ライダーキック。」

      最近自分のことだけを考えるのではなく、社会や他者への影響力を意識するようになってきたので、この編集長の言葉はよくわかる。

      普通はこんな限られた読者対象の雑誌は、企画の段階で却下されるだろう。
      それをやってしまえるところは、すこしごり押しのできる世代であるからか。

      ともあれ、殊勝な試みにエールを送りたくなった。


      本屋で手に取る人はほぼ昭和40年生まれだろう。「あなたもですか?」なんて会話がはじまる図も楽しい。




      | 日記 | 05:32 | comments(6) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
      公正であること
      0
         「ドリトル先生航海記」(ロフティング著、井伏鱒二訳、岩波書店)で、スタビンズ君がドリトル先生にはじめて出会うところは印象的だ。

        スタビンズ君は靴屋の息子である。学校にも行っていない貧しい家庭の子どもを、おとなたちは軽くあしらっていた。
        通りがかりのベロスさんにスタビンズ君が時間をきく。
        「おまえごときの子どもにきかれて、私がわざわざ外套のボタンを外せると思うのか。」
        スタビンズ君は、いったい幾つになったら、ベロスさんが時計を出して時間を見てくれるのだろう、と考えた。

        そのあと、雨が降ってきた。夕立の中、急いで駆けだしたとき太った小柄な人に突き当たり、お互い尻餅をつく。それがドリトル先生だった。
        「きみ、けがをしなかったかね。」
        「だいじょうぶです。」
        「これがきみのあやまちであったとすれば、わしのあやまちでもあった。」
        (この一文は、いかにも井伏鱒二の訳、というかんじ)

        スタビンズ君は自分を子ども扱いしない、公正なおとなにはじめて出会ったのだった。


        最近すこし読みたくなって、須賀敦子さんの「ミラノ霧の風景」を読んだ。
        須賀さんはフランスやイタリアで学んで、さまざまな人との出会いを得た。
        何のバックグラウンドもない自分を、ひとりの人間として扱う欧州の人たちに影響を受けたのだろうか。須賀さんの視点は、いつも公正なのである。

        職場の同僚が、生まれや育ちのことを理由に不当に扱われることに憤る。そういう人間の根本に対する公正な視線が、須賀さんの文章の通奏低音として、ある。

        出会った人たちとのさまざまな思い出。悲しい話も多いが、人間の弱い部分にもフェアでありたかったのだと思う。うーん、うまく言えない。


        子どもであるから、外国人であるから、貧しいから・・。そういう集団としての括り(くくり)を離れた視点をもつ大人として、ドリトル先生と須賀敦子さんには共通点がある。





        我が家のチャッピー。だいぶ歳になってきた。



        | エッセイ | 05:36 | comments(2) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
        昨日の手術より
        0
          昨日の手術より(9件)

          犬、腹腔鏡下避妊手術2件

          ミニチュア・ダックスフント、会陰ヘルニア整復術(内閉鎖筋フラップ+プロリーンメッシュ)と去勢

          ヨークシャ・テリア、歯石除去2件

          雑種犬、後肢指端にできた肥満細胞腫摘出術と皮膚移植

          ヨークシャ・テリア、頸椎2カ所、腰椎6カ所のPLDD(経皮的レーザー椎間板除圧術)

          猫、外傷処置

          シーズー、異物誤飲のため内視鏡検査

          たかみのけんぶつ



          | 獣医医療 | 05:54 | comments(4) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |
          ネオテニー
          0
             ロシアの研究所で、キツネを家畜化する研究が行われている。
            キツネを繁殖させ、その中で人間を恐れない傾向を持つキツネを選び出し、それを掛け合わせ、さらに選抜を繰り返す。
            すると、人間にとても慣れるキツネができるそうである。

            ところが世代を重ねていくうちに、驚くことがわかってきた。
            このようなキツネには「人間を恐れない」という性質と共に、ある共通した特徴が現れるというのだ。
            それは、「尾が巻く」「耳がたれる」「顔が平たくなる」などの特徴だそうだ。
            これは何を意味するか。
            「子どもっぽい」ということだった。(「センスオブワンダー」福岡伸一さんの文章より、改変して引用)

            生物用語で「ネオテニー(幼型成熟)」という言葉があるそうだ。
            おとなになっても、子どもみたい。ウーパールーパーなどはそうである。カエルと同じ両生類なのに、オタマジャクシのままおとなになる。

            人間はチンパンジーなどの猿のネオテニーではないか、という説がある。
            体毛が少ない、顔が扁平である。
            そのような見かけの様子以外に、「好奇心が強い」「攻撃性が少ない」などの性質は子どものものだ。子どもの時間が長いということは、学びの時間が多く得られることになり、知能の発達にも寄与する。

            あくまでも仮説なので真偽はわからないが、他の動物と比べた人間の特異性を、かなり説明できるように思う。(先ほどのキツネでも、おもしろいことがわかっている。そのようなキツネは、ものを覚えるのが早く、知的だそうだ。)

            人間のすばらしい能力や好奇心、その反対の愚かな面。
            「子どもだから」と考えると説明がつかないか。


            沖縄で「パピヨンの庭で」の著者Aさんと話をしたとき、こんなことを言われていたのが印象的だった。(みなさんは信じるかどうかわからないが、Aさんは動物と会話ができる特殊な能力がある方なのだ。)

            すべての動物の中で、人間の魂は一番下の位(くらい)です。
            動物の魂のほうが、高貴なのですよ。



            いっしょ








            | エッセイ | 05:36 | comments(7) | trackbacks(0) | - | ログピに投稿する |